【猿沢池池畔に佇む五十二段】「六道の辻」とも呼ばれた謎多き石階段

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奈良 五十二段

⬆️午前9時頃の52段

⬆️夜20時30分頃の五十二段

創建年

不明
推定:749年(天平21年/奈良時代)

再建年

1895年(明治28年)※大規模工事(石材の入れ替え)
2010年9月〜1月5日 ※改修工事

五十二段の読み方

五十二段はそのまま「ごじゅうにだん」と読みます。別名で「六堂の辻」や「六堂の辻の階段」とも呼ばれます。

五十二段とは?

五十二段とは猿沢池北東の衣掛茶屋の前あたりから興福寺境内となる五重塔までを間にある石階段のことです。

実際に52段あることから、そのまま五十二段と呼ばれています。五十二段と呼ばれはじめたのが、江戸時代からだと云われますので、比較的、近世になってから呼ばれだした名称になります。

この石階段の特徴としては52段もの階段でありながら、階段1段分の面積が広く、比較的、緩やかな階段になっているということです。

「五十二(52」の数字には意味があった!

実はこの五十二段の52にという数字には深い意味があることをあまり知られていません。

「52」という数字は「菩薩瓔珞本業経 (ぼさつようらくほんごうきょう)」で説かれる菩薩の修行の階位となる「五十二位」を示すとされています。

五十二位

十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚


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六道の辻とは?

この五十二段は別名で「六道の辻」とも呼ばれますが、この理由はこの五十二段の下で6つの道が合流することから「六道の辻」と呼ばれています。

「辻」とは交差している場所という意味合いがあります。

実際に五十二段の下は以下のような6つの道路があります。

  1. まず、五十二段(興福寺境内へ通じる道)
  2. 東側には荒池へ通じる道
  3. 西側には三条通りからの道路
  4. 南には猿沢池の池畔へ通じる道
  5. 北東には「馬道」といって猿沢池から春日大社一の鳥居へ抜ける馬車が通った道
  6. 南東には、「元興寺」および「ならまち」へ通じる道

以上の6つ道がちょうど五十二段の下で合流しています。(地図参照)

五十二段「六道の辻」(地図)

五十二段が作られたのはいつ?「五十二段の歴史」

この五十二段が造営された正式な時代は判然としていませんが、興福寺が「放生会」を行う目的で猿沢池を造池したのと、時を同じくして造営されたものと推察されます。

理由は当時は興福寺の境内の一部であった猿沢池と興福寺境内との往来をしやすくするためです。

明治時代までは自然石が積まれていた

現今の五十二段は綺麗な石畳が整然と並べられ、全体を見渡しても実に均整のとれた景観をしてしますが、明治時代以前はこのような石畳ではなく、そこらへんに転がっている程度の良い自然石が用いられていました。

しかし、1895年(明治28年)に奈良県主導による奈良公園の改修工事が実施された折、かつて五十二段に敷かれていた自然石の石段が撤去され、新たに現在見られるようなキレイな長方形に整えられた石材に取り替えられています。

この明治時代以前の五十二段には、階段途中に踊り場が設けられていましたが、この明治の大改修により、踊り場も無くなっています。

1908年に奈良市街で行われた「陸軍大和特別大演習」において、この五十二段で明治天皇が馬に騎乗したまま五十二段を上がるという演目のようなものが企画されたようですが、これは万が一の落馬が懸念されて程なく中止になっています。

ただ、昭和時代には、進駐軍(米軍)がジープでこの五十二段を往来していたそうです。

平成時代

2010年9月〜1月5日の期間で総工費約4000万円が投じられて、奈良県主導による石段の改修および一部を新規で敷設する工事が実施されています。

五十二段は前回の改修から実に110年ぶりの改修工事ということで、石段それぞれの表面がすり減り、滑りやすくなっていことや、石段のズレや傾きが生じ、通行の危険性が高まったために満を辞して改修工事が実施されています。

⬆️工事後の五十二段

⬆️横から見た五十二段

この工事では、滑り止め加工を施すとともに傾いていた石材を整理し、表面の凹凸が著しい石材裏返しにしてハメ込むなどの施策が施されています。

1999年から毎年8月には、なら燈花会が開催され、この五十二段も会場の1つに指定されています。以来、毎年のようにこの五十二段の1段々にロウソクが並べられています。

https://xn----kx8am9ow8cv7f5tnxma.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/wp-content/uploads/2018/07/b8a738619e099e9b60f43c3f09151ce6.jpg⬆️なら燈花会の時の52段

五十二段の場所(地図)とアクセス方法

猿沢池の最寄駅および最寄バス停

  • 最寄りバス停:県庁前バス停(徒歩約5分)
  • 最寄駅:近鉄奈良駅(徒歩約7分)

県庁前バス停から五十二段への行き方

JR奈良駅および近鉄奈良駅方面から「東大寺・春日大社・興福寺」もしくは「高畑町行き」のバスへ乗車します。

県庁前バス停を降りると手前に県庁が見えますが、県庁とは真逆方向へ進みます。

すると右手に興福寺国宝館が見えますが、これを横目に通りすぎて、突き当たりを右折すれば五十二段が見えます。

近鉄奈良駅から五十二段への行き方

近鉄奈良駅から五十二段までの所要時間と距離

  • 所要時間:7分
  • 距離:約450㎞

五十二段は興福寺五重塔の足元にあります。興福寺は創建した藤原氏がわざわざ高台に造ったため、五十二段は足元になります。

近鉄奈良駅からですと、東向き商店街を南下して突き当たりの三条通りを興福寺および春日大社の方向へ向けて歩いていくだけです。

JR奈良駅から五十二段への行き方

JR奈良駅から五十二段までの所要時間と距離

  • 所要時間:17分
  • 距離:約1.1㎞

JR奈良駅からですと、JR奈良駅のバスロータリー北側にある旧奈良駅の駅舎(現在は観光案内所)の前の横断歩道から見える「三条通り商店街」を興福寺・春日大社方向へ向かって直進するだけです。

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